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暮らし
日常の暮らしでふと浮かんだことを徒然なるままに書いています。


隕石が落ちた海で感じた“不思議なつながり”
島根半島の海を訪れ、奇岩の海岸や断崖の絶景、隕石の記憶に触れる。静けさに包まれた“裏”の世界で、自然と人のつながりを感じたひととき。
ふなっきぃ
9 時間前


春分の光に包まれてー大山に現れた雪形と人の営み
太陽の光は冬とは明らかに違い、強く、そしてどこか優しく輝いている。
澄み切った青空に山陰らしいふわりとした雲が浮かび、その下に広がる風景は、まさに季節の移ろいそのものだ。
ふなっきぃ
2 日前


世界は大きな転換点にあるのか ― イラン戦争とカダフィの記憶
「リビアの狂犬」と呼ばれたカダフィ。
しかし本当に狂犬だったのでしょうか。
中東戦争、エネルギー問題、
そして日本の未来。
春分の節目に
世界の構造を考えてみました。
ふなっきぃ
3 日前


彼岸の入り、墓に飾る「しぶき」が語る日本人の祈り
春の彼岸の入りの日、雲ひとつない晴天のもと墓参りに行ってきました。山陰では墓に花と一緒に「しぶき」と呼ばれる木の枝を供える習慣があります。正式にはヒサカキという常緑樹で、神事に使われる榊にも似た植物です。ご先祖への感謝とともに、春の訪れと日本人の祈りの文化について静かに思いを巡らせた一日でした。
ふなっきぃ
5 日前




嫐(うわなり)打ち神事―雪の境内で、古代の気配に耳を澄ます―
現地で新たに妻を娶った孝霊天皇。
それに嫉妬した先妻の思いが、怨念となって残った――
嫐打ち神事は、そうした記憶の層の上に成立しているのかもしれない。
ふなっきぃ
2月17日
















澄んだ空と、こたつの上の地球儀
冬の合間、ふと外に目を向けると、雲の切れ間から鮮やかな青空がのぞいていた。道端にはまだ、数日前の雪が固まって残っている。外に出ると風は刺すように冷たいが、空の明るさが「春は遠くない」と教えてくれているようだ。 街から数少なくなった書店へ足を運ぶと、知育玩具のコーナーに地球儀が置かれていた。ふと、テレビのニュースを観ながら熱心に世界の情勢を追っている、八十を過ぎた母の顔が浮かんだ。 手に入れたのは、子供向けに分かりやすく色分けされた地球儀。 ただ、いかんせん文字が小さいのが気にかかる。かといって、あまりに大きなものは場所をとり、高齢の母には扱いづらいだろう。 結局、母はこたつに座り、テレビを眺めながら、もう片方の手には虫眼鏡を握りしめている。レンズ越しに、等高線の引かれた小さな球体をじっと覗き込む。 「アメリカはここ、アラスカはあっち……」 「グリーンランドはこんなに広いのね」 「ベネズエラに、イラン、イスラエル……」 ニュースで流れる国々の名前を、一つずつ指先で確認していく。その姿を見ていると、幾つになっても失われない知的好奇心というものに、静か
ふなっきぃ
2月5日


不自由を愉しむ―桝水の雪とブルーモリスの細板と
今年最後の寒波で 1月も終わりを迎え、気温は低いものの雪には少しずつ重みが加わってきた。 今日向かったのは、大山の麓、桝水高原。 あいにく圧雪車が故障中とのことで、ゲレンデは手付かずの自然雪のまま。しかし、今日の相棒を考えれば、むしろそれは望むところだった。 足元を固めるのは、 ブルーモリスの細板に、スカルパのT4 。 現代の太いファットスキーや硬いブーツに比べれば、お世辞にも「扱いやすい」とは言えない、いわば“貧弱な道具”だ。 不安定な斜面。 少し油断すれば雪に足を取られる。 時折、最新のカービングスキーやスノーボーダーたちが、鮮やかなシュプールを描いて私を追い越していく。 けれど、それでいい。 いや、それがいいのだ。 雪面のわずかな変化を足裏で感じ取り、膝を送り、一歩一歩慎重に、そしてゆっくりと。 道具の性能に頼り切るのではなく、自分の技術と、雪との対話だけで滑り降りる。 思い通りにいかない斜面を攻略したあとの満足感は、何物にも代えがたい。 昔を懐かしみながら過ごす、この「不自由で豊かな時間」こそが贅沢なのだと感じる。 ノンストップで1時間。
ふなっきぃ
2月5日


平日の午後、カフェの二階から
下を見れば、人の動きも目に入る。車が行き交い、人が出入りし、思い思いの時間を過ごしている。それを眺めていると、なんだか少し得をしたような気分になる。
ふなっきぃ
1月29日


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