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静かなる熱狂、あるいは「丙午」の予感

週末に「警報級の寒波」がやってくるという。その予報に背中を押されるようにして、私は期日前投票所へと足を運んだ。

心の中では、投票先はもうずっと前から決まっていた。あとはただ、その一票をしかるべき場所に投じ、開票の瞬間を待つだけ。そんな軽い気持ちで向かったのだが、予定はいい意味で裏切られることになった。

変わりゆく投票所の風景

投票所に近づくと、そこには駐車場に入る前から忙しなく動く係員たちの姿があった。 「一体、何人の人がこの運営に関わっているのだろう」 そう思わずにはいられないほどの動員数だ。そして何より驚いたのは、建物の中にまで続く長蛇の列だった。

ふと、10年以上前に同じ場所で期日前投票をした時のことを思い出す。あの時は人影もまばらで、手続きはあっけないほどすぐに終わった。土曜日という条件を差し引いても、この盛況ぶりは私の想定を遥かに超えている。

出口付近では、報道各社が必死にマイクを向け、アンケートを取っていた。メディアは「政権与党の圧勝」を声高に伝えているが、この列に並ぶ一人ひとりの胸の内まで、果たして彼らは見通せているのだろうか。

地方都市の「静寂」と「核心」

私の住むこの小さな地方都市では、都会のような選挙の盛り上がりは微塵もない。 たまたま通りかかった街頭演説でも、候補者の熱弁とは裏腹に、足を止める人はほとんどいない。閑散としたその光景は、どこか寂寥感さえ漂わせている。

候補者も少なく、勝敗の行方は火を見るより明らか。そんな諦めにも似た空気のせいか、街全体が冷めているようにも見える。

けれど、私は思うのだ。 「今回の選挙ほど、日本の未来を左右する大切な分岐点はないのではないか」と。

あの投票所にできていた長い列。あれは、単なる義務感の現れだったのか。それとも、口には出さないけれど、誰もが心の奥底で「このままではいけない」という切実な願いを抱いている証拠だったのか。私の思い過ごしなら、それでもいい。だが、あの無言の列には、街頭演説の静けさとは対照的な「熱」が確かに宿っていたように思う。

丙午の火が照らすもの

2026年、丙午(ひのえうま)。 この年周りが持つ激しいエネルギーは、一体どのような形で「火」を吹くのだろうか。

古くから迷信や伝説とともに語られるこの干支の年に、私たちはどんな決断を下し、どこへ向かおうとしているのか。停滞した空気の中に放たれる火花が、浄化の炎となるのか、あるいはすべてを焼き尽くす烈火となるのか。

冷え込む週末を前に、一足先に投じた一票。 その重みが、この国の未来を少しでも明るい方へと照らしてくれることを、今は静かに願っている。


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