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嫐(うわなり)打ち神事―雪の境内で、古代の気配に耳を澄ます―

けれど、この土地に残る記憶は、文字の外側に静かに広がっている。

読んだあとに残る違和感こそが、昔の人の声なのかもしれない。

鳥取県大山町宮内。

雪がまだらに残る境内を歩いていると、空気が少しだけ変わる場所がある。


高杉神社。

ここでは今も「嫐(うわなり)打ち神事」という、全国的にも珍しい神事が伝えられている。


嫐打ちとは、後妻を迎えたことによって生じた先妻の嫉妬や怨念を鎮めるための神事だという。

文字に書かれた説明は、いつも必要最低限だ。
文字に書かれた説明は、いつも必要最低限だ。

境内の説明板には、細(くわし)姫をめぐる逸話が記されている。

先妻の激しい嫉妬が祟りとなり、災いが続いた――そんな物語だ。


ただ、不思議なことに、説明板を読み終えても、どこか腑に落ちない感覚が残る。

文字には書かれていない「背景」が、この土地にはまだ沈んでいるように思えてならない。

雪は音を吸い込み、境内をさらに静かにする。
雪は音を吸い込み、境内をさらに静かにする。

人が去っても、祈りは去らない。

ここでは時間が、今もゆっくりと積み重なっている。

この地には、孝霊天皇にまつわる口伝が残っている。

第七代天皇とされ、欠史八代の一人でもある孝霊天皇。

出雲討伐のために進軍する途中、大山町宮内に陣を張り、さらに奥の山間地へと分け入っていったという。


その山間地には、当時すでに多くのたたらが存在していた。

鉄を生み出す場所。

出雲系の人々が暮らし、山の中で独自の世界を保っていた土地だ。


現地で新たに妻を娶った孝霊天皇。

それに嫉妬した先妻の思いが、怨念となって残った――

嫐打ち神事は、そうした記憶の層の上に成立しているのかもしれない。


孝霊天皇は「フトニ」とも呼ばれ、高い霊力を持つ存在だったと伝えられている。

吉備彦、吉備津彦とともに、吉備国から伯耆国一帯へと進軍したという話は、出雲側の口伝にも残っている。


大山の北西には、今も「孝霊山」という低山がある。

山という漢字の象形そのもののような、静かな山だ。

大山町側から見ると、この孝霊山が前景となり、大山の姿は完全には見えない。


まるで、何かを遮るように。

あるいは、守るように。


「宮内」という地名が示す通り、この地が一時的な行宮、あるいは陣営であった可能性は高い。

近くには、弥生時代の大規模集落・妻木晩田遺跡がある。

縄文の頃から、人が集い、暮らし、交わってきた土地だ。


今でもこの地域には、「唐来」「来海」といった苗字の方が多く暮らしている。

古代、この地が国際色豊かな交流の場だったとしても、不思議ではない。


孝霊天皇の時代、畿内は内乱の只中にあり、王権は一時的に吉備方面へ重心を移していたとも言われる。

丹波・播磨には、渡来系の人々による反乱の記録も残る。


そう考えると、天皇家が鉄を求めて伯耆・出雲へと向かった理由も、自然に見えてくる。

鉄は力であり、国家の骨格だった。


奥日野には、そうした時代の記憶を感じさせる伝承が、今も静かに残っている。

嫐打ち神事は、単なる嫉妬の物語ではない。

古代国家形成の過程で生じた衝突、祈り、そして鎮魂のかたちが、民俗として結晶化したものなのだろう。


雪の残る参道を歩きながら、

私はただ、ここに立ち続けてきた人々の時間を思う。


語られなかった歴史。

書かれなかった感情。


それでも、土地は覚えている。

だから今も、神事は続いているのだ。



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