top of page

15年前の教室で考えていた「日本人とは何か」――新渡戸稲造と武士道、そして今につながる教育の記憶

9月15日
読了時間: 9分
『武士道』を英語で著し、日本人の精神文化を世界に伝えた新渡戸稲造
『武士道』を英語で著し、日本人の精神文化を世界に伝えた新渡戸稲造

前回、『日本人は死んだ』という一冊の本について書きました。

その記事を書きながら、私は改めて「日本人とは何なのだろう」ということを考えました。

ところが、よく考えてみると、私がこの問いを持つようになったのは最近のことではありません。

今から15年前。

2011年6月、私が小学校に勤務していた頃にも、同じようなことを考えていたのです。

新渡戸稲造を題材にした道徳の授業

その年、私は道徳の実践発表をすることになりました。

授業で扱ったのは、新渡戸稲造を題材にした読み物資料でした。

長い間、私は「日本の架け橋に」といった題名だったように記憶していましたが、今回この記事を書くために改めて調べてみると、現在の学研の道徳教材には、

「太平洋のかけ橋 新渡戸稲造」

という題名で掲載されています。

現在は5年生の教材で、内容項目は「国際理解、国際親善」とされています。

新渡戸稲造といえば『武士道』です。

新渡戸はヨーロッパ滞在中、「日本では宗教教育なしに、どのようにして道徳を教えているのか」という問いを受け、すぐに答えることができなかったといいます。

さらに外国人である妻からも、日本人の道徳的な考え方について問われました。

そうした問いに向き合う中で、新渡戸は日本人の精神を支えてきたものとして「武士道」を考えるようになります。

そして、それを英語で世界へ伝えました。

当時の私が子どもたちに考えてほしかったのも、まさにそこでした。

外国を知るだけが国際理解なのだろうか。

外国の人々と向き合ったとき、逆に問われることがあります。

「あなたは何者なのですか」

「あなたの国では、何を大切にしてきたのですか」

そのとき、自分たち自身のことを知らなければ、何を語ることができるのでしょう。

私は6年生の子どもたちにも、

「日本人とは何なのだろう」

ということを考えてほしかったのです。

外国人の目から明治の日本を見る

その授業では、読み物資料だけでなく、NHKの明治期を扱った番組の一部も子どもたちに見せました。

そこには、日本を訪れた外国人たちの目に映った当時の日本の姿が描かれていました。

暮らしは決して豊かではない。

それでも人々はよく笑い、楽しそうに暮らしている。

きれい好きで、子どもたちを大切にし、子どもたちもよく笑い、よく遊ぶ。

そして、その背景には美しい日本の情景が広がっていました。

一方で明治になると、日本は急速に西洋の制度を取り入れていきます。

学校教育も始まり、規律を重んじる学校生活がつくられていきます。

掛け図を使った授業や石板を使った学習など、今ではほとんど見ることのできない教育の姿もありました。

昔ながらの日本の暮らしと、急速に進んでいく西洋化。

私はその両方を子どもたちに見せながら、

「日本人は何を変え、何を残してきたのだろう」

ということを考えさせたかったのだと思います。

日本文化は「体験」しなければ分からない

しかし、日本の伝統や文化は教科書を読んだだけでは分からないとも考えていました。

そこで、道徳以外の学習でも地域の文化を実際に体験する活動を取り入れました。

地域の伝統産業だった綿製品について学び、古い機織り機を使って機織りを体験しました。

地元の呉服店にも協力していただき、歴史館で実際に機を織りました。

また、地域で茶道をされている方のお宅へ子どもたちと伺い、茶の湯も体験しました。

茶碗を持つ。

姿勢を整える。

相手を思いながら、一つ一つの所作を行う。

こうしたものは、文章で説明されただけではなかなか分かりません。

身体を通して初めて感じることのできる文化がある。

当時の私は、そんなことを考えていたのでしょう。

毎日1分間の黙想

当時の私は、教室を道場のような感覚でいました。

日常の礼儀作法や姿勢・丹田呼吸なども行っていました。

4月から毎日、朝の会と帰りの会に「1分間の黙想」を取り入れました。

背骨を意識して姿勢を整える。

腹を意識して呼吸を整える。

静かに自分自身と向き合う。

わずか1分です。

しかし、それを毎日続けました。

学校では音読・暗唱に取り組む時間もありました。

私は、それまで実践してきた教育方法も参考にしながら、フラッシュカードを使った活動や、歴史学習に歌を取り入れることも行いました。

そして、優れた古典文学を声に出して読み、暗唱しました。

現在から見れば、当時の学習指導要領の枠から少し外れていたものもあったかもしれません。

しかし、当時の学校には、まだそうしたことを試みる余裕がありました。

実は、落ち着かない学年だった

ここで、忘れることのできないことがあります。

私が6年生で受け持ったこの子どもたちは、前年の5年生の頃には、かなり落ち着かない学年でした。

暴れ回るようなこともありました。

ところが、さまざまな実践を毎日繰り返していく中で、子どもたちは少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

もちろん、それを一つの教育方法だけの成果だと言うつもりはありません。

ただ、

姿勢を整える。

静かに呼吸する。

古典を声に出して読む。

地域の人から文化を教わる。

自分たちの歴史を知る。

そして、自分が暮らしている地域や国について考える。

そうした一つ一つの積み重ねにも、何らかの意味があったのではないかと、今でも思っています。

卒業する頃には、私にとって大変思い出深い子どもたちになっていました。

ところが、実践発表では……

さて、この実践には、今となっては少し笑ってしまう後日談があります。

私はこの実践を発表するため、道徳の研究大会で実践発表することになりました。

ところが、そもそも私が発表者になった事情を、当時の私はよく知りませんでした。

後になって聞いた話では、前年の段階で発表者がきちんと決まっていなかったらしく、実践期日も少ない中私のところへ話がやってきたようなのです。 以前から適任が誰もいないからしてくれということが度々あったのですが、頼まれごとは試されごとという言葉を胸に刻んでいたので、すぐに引き受けました。

ところが、研究会には研究会としてのテーマがありました。

記憶では「家庭や地域との連携」といった方向だったと思います。

そんな事情を十分知らない私は、自分が子どもたちと取り組んできた実践と、そこに込めていた思いをそのまま発表しました。

新渡戸稲造。

武士道。

明治の日本。

日本人の精神的な支柱。

地域の伝統文化。

機織り。

茶の湯。

古典。

黙想……。

今になって考えてみれば、研究会が想定していた発表とは、かなり趣の違う内容だったのでしょう。

参加された皆さんも、

「これは、どのように受け止めればよいのだろう」

と、少し戸惑われたのかもしれません。

当時は「日本人の精神」や「武士道」「国や郷土を愛する心」といったテーマを学校教育の中で正面から語ること自体、受け止め方の分かれるところがあったように思います。

まして私は、研究会全体のテーマとの関係を十分整理することもなく、自分の問題意識を前面に出して発表してしまいました。

発表後の指導助言者の方が、何となく言葉を選びながら話しておられたことを覚えています。

当時の私は、その理由がよく分かっていませんでした。

後になって研究会のテーマを知って、

「ああ、そういうことだったのか」

と納得しました。

もっとも、機織りでは地域の呉服店や歴史館に協力していただき、茶の湯でも地域の方のお世話になっています。

そう考えると、「家庭や地域との連携」という研究テーマから完全に外れていたわけでもありません。

ただ、研究会が求めていた「地域との連携」と、私が考えていた「地域の文化を子どもたちの体験につなげること」では、焦点の当て方が違っていたのでしょう。

今振り返れば、当時の私にも、もう少し研究会全体のテーマを理解した上で、自分の実践との接点を整理して発表する余裕があればよかったと思います。

それでも、15年後の今になって、改めて思うことがあります。

研究会のテーマとは少しずれていたかもしれない。

しかし、

「子どもたちに、自分たちの文化や歴史について考える機会を持たせたい」

という思いは、私自身がずっと持ち続けてきた教育のテーマだったのだと思います。

愛国心とは、教え込むものなのだろうか

当時の私は、こうした学習が「国や郷土を愛する心」につながっていくと考えていました。

ただし、愛国心とは、

「日本を愛しなさい」

と教え込んで生まれるものではないと思っています。

自分が生まれた地域を知る。

そこに暮らしてきた人々を知る。

歴史を知る。

文化を実際に体験する。

先人たちが何を大切にしてきたのかを考える。

その積み重ねの中から、

「自分はここにつながっている」

という感覚が生まれる。

その先に、地域や国を大切に思う気持ちが自然と育っていくのではないでしょうか。

それならば、国際理解と愛国心は決して反対方向を向いたものではありません。

むしろ、自分自身の文化的な根っこを知っているからこそ、異なる文化を持つ人とも対等に向き合える。

2011年の私は、そんなことを子どもたちと考えようとしていたのだと思います。

15年後、再び「武士道」に出会う

それから15年が経ちました。

私は教員を退職し、今は書籍やSNSも活用して学習する機会も増えました。

そして最近、偶然にも「日本人の魂」や「武士道」について語られる動画を視聴する機会がありました。

視聴しながら、ふと2011年のあの教室を思い出しました。

新渡戸稲造を読み、

明治の日本を映像で見せ、

機織りをし、

茶の湯を体験し、

古典を読み、

毎日静かに姿勢を整えた。

当時は、それらを一つの言葉で説明することなどできませんでした。

しかし今振り返ってみると、その根底にはずっと一つの問いがあったように思います。

「日本人とは何なのだろう」

という問いです。

『日本人は死んだ』から、再びあの教室へ

前回、『日本人は死んだ』を読みました。

そして今回、武士道について考え直しました。

考えてみれば、私の中にある問いは15年前からそれほど変わっていなかったようです。

そして、この実践発表の後、私は広島の江田島へ出向することになります。

もちろん、この発表が原因だったわけではありません。

けれども「日本人とは何なのか」などということを考えていた人間が、その後、江田島へ向かうことになったというのも、今となっては何とも面白い巡り合わせです。

2011年の教室で考えていたこと。

2026年の今、考えていること。

15年という時間を隔てて、それらが一本の線でつながり始めました。

そしてAIが急速に発達し、知識を得ることそのものの意味さえ変わろうとしている今だからこそ、もう一度考えてみたいことがあります。

学校は、子どもたちに何を残す場所なのか。

知識だけではなく、

自分がどこから来たのか。

自分は何者なのか。

そして、これからどう生きていくのか。

そんなことを考えるための「根っこ」を育てることも、教育の大切な役割だったのではないでしょうか。

15年前のあの教室で、私はそれを探していたのかもしれません。

そして今もなお、

「日本人とは何なのか」

その問いを考え続けています。

コメント


Fnacky21

学び、歩き、つくりながら、

これからの生き方を考える。

© 2026 Fnacky21

テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。

Fnacky21は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できる、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

bottom of page